初めの印象なんてどうでも良い
ちょっと前の話なんですけど、北海道のビール工場見学に行ってきました。
工場を案内してくれたのは50〜60代のとても愉快なおじさん。
案内しながらお客さんを交えたジョークを言ったりして、退屈を感じること無く工場を見学することができました。
本当に楽しくて、またいつかここに来れたらなーって思ったりして。
とまあ素敵な体験をさせて頂いたんですけれど、その案内人のおじさんと出会って気付いたことがあって。
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実はそのおじさんの最初の印象が「スベりじじい」だったんですね。(失礼なんですけど、、ちょっとオーバーに言いました)
出だしの挨拶からちょっとスベってて「あ、これイタいやつかもしれん」って不安になったんですよ。周りのお客さんも完全に引いてるし。やっちまったな〜と。
でもまあそんなことを思ってても仕方ないし、普通に見学終えて試飲させて頂いて無事に終わればいいな〜くらいに思ってたんです。
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そんなんで最初の方は結構愛想笑いでやりすごしてたんですが、気付いたら普通におじさんの話を楽しんでいる自分がいて。
「あれ?普通におじさんの話楽しいじゃん。」って。もう途中からおじさんの一挙手一投足に釘付けです。(もちろんこれもオーバーに言ってますけど)
もう終わる頃なんかには別れが惜しくて、「すみません!もう一杯!」って試飲をたくさんさせて頂きました。(なんたって20杯まで試飲していいって言うんだもん。
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終盤には出会った頃のおじさんの印象なんてすっかりどこかに飛んでました。
もし自分がおじさんの立場だったとして、初めからあんなに自分を出して案内が出来ていただろうか?無難に案内を終わらせることを考えてしまい“自分らしさ”てのを出せずにいたんじゃないか。
そしておじさんがもし最初から“おじさんらしさ”を出していなければこんなに楽しい工場見学にはならなかったんじゃないかなって思って。
そう考えた時にハッとしました。
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自分は普段から“自分らしさ”を出せているのだろうか。
自分の正直な意見を周りに言えているのだろうか、と。
もし自分を素直に表現できていないとしたら、無難な道を選んでいたとしたら、きっとこの先どう転んでも楽しい結果にはならないだろうな。
そんな人生を送るんだったら、初めはウザいやつだとか、暑苦しいやつとかどう思われてもいいや。無難にこなして無難な結果を得るくらいなら多少嫌がられても自分らしく楽しくやってやろう。
そんな風に思えて。そこからですが最近は少しずつ自分に素直になれた気がします。
(ちょっと話はズレるんですが、)
今までの人生で「こうじゃなきゃいけない」「こうあるべき」とか自分の作り出した理想像みたいなのにとらわれていて窮屈に感じていた部分があって。
でも最近は良い意味で“諦める”ことが出来てます。
「完璧じゃなくていい」と思うし、「無理に自分を偽らなくていい」って思えてます。
なので、こういったキッカケをくれたおじさんに感謝してこれからも“自分らしく”成長していけたらなと思います。
自分と向き合うキッカケをくれたおじさんに
Thank you.!
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